TESSEN

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玉鋼

TESSEN-The steel used in this golf putter was made with the same traditional iron forging techniques in japan

日本古来の砂鉄からつくる製鉄法で出来た「和鋼」。
刀鍛冶により繰り返し繰り返し鍛錬された素材は、
全国の一流の職人との出会いの中から、
現代にあった新しい価値に生まれ変わります。
田部家の千石船「鐵泉丸(てっせんまる)」に由来する
『TESSEN』は、たたら製鉄の素晴らしさを、
全国そして世界へ、伝えて参ります。

~たたら復興プロジェクト~

田部家がたたら操業を開始してからおよそ550余年、古来から連綿とつながる“たたら文化”を現在まで継承して参りました。中でも日本に唯一現存する“菅谷高殿”では大正時代まで170年間、8600回を超える操業が行われ、そこで生産された大量の鉄は陸路は馬車、海路は“鐵泉丸”“天祐丸”といった千石船で全国津々浦々に運ばれ、全国の鉄の需要を満たし、日本の近代的な国づくりの一翼を担ってきました。明治時代にはシカゴ万博、パリ万博に出品し、その品質は世界的に大きな評価を得ることとなり、大正天皇のお守り刀に使われる玉鋼を当家から献上させて頂く栄誉を授かりました。

一度は途絶えてしまった「たたら文化」を、未来へ伝承していくため、たたらで栄えたこの地域にもう一度光を当てるために、私たちはたたら製鉄の復興を決意しました。
たたらの操業はもとより、現代にあった商品の開発、多くの方にたたらを体験をして頂ける観光産業の創出、ものづくり教育・研修への活用、たたらを支える森林の保全など、想いを共有できる仲間とともに取り組んで参ります。

和鋼製品の企画・開発

たたら製鉄によって生産された和鋼を、多くの方に身近に使っていただける機会を作ります。伝統的な技術と先鋭のデザインの融合など、現代の価値にあった製品を企画開発していきます。

たたら操業の復活とまちづくり

たたら製鉄による生産過程や森と共生したたたら文化等の背景を、体験を通してお伝えしていきます。和鋼生産・加工の拠点となる「たたら場」の再整備を進めていきます。たたら体験プログラムや、多くの方々がゆっくりと滞在できる場所、たたらを支える山々を巡って頂ける機会を提供していきます。

ものづくり教育・研修

砂鉄・木炭・土といった自然の恵みを、我々の使う道具にまで加工していくたたら製鉄は、日本のものづくりの原点ともいえます。鉄に関わるお仕事をされる方々、ものづくりに携わる方々や、これからの将来を担う子供たちに、たたら製鉄の歴史・文化に触れ、多くのことを感じていただける機会をつくっていきます。  

島根のたたら製鉄とは

山深い島根県奥出雲地方、良質な砂鉄と森林資源に
恵まれていることから、約1400年前より日本古来の
「たたら製鉄」が盛んな地域でした。

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刀匠が鍛えし和鋼「玉鋼」

玉鋼は純度の高い炭素鋼で、
叩き、伸ばすことで鍛えられ
焼きを入れて硬くすることができるため、
昔から日本刀や
刃物の材に
用いられていました

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フルミルドパター

TESSEN-The steel used in this golf putter was made with the same traditional iron forging techniques in japan

日本古来の製鉄方法「たたら製鉄」 刀剣素材
「玉鋼」を使用した至極のゴルフパター

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五百五十年の時を歩む「田部家」




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当主挨拶

田部家とたたら製鉄

私たち田部家はおよそ550年、二十五代に亘り「たたら製鉄」と関わって参りました。西暦
1460年(寛正元年)より、1921年(大正10年)までのおよそ460年間、島根県吉田村(当時)では砂鉄から作る製鉄方法「たたら製鉄」が全盛を極めていました。

奥出雲地方で生産される和鉄は全国生産の7割とも8割とも言われ、質、量ともに日本一の生産地でした。当時我々の本拠地吉田村では「たたら製鉄」に従事する人やその家族で人口1万人とも言われ、村は活況を呈していました。たたら事業は単に鋼を作るだけの仕事ではなく、非常に裾野の広い事業であったという事です。

「たたら操業」と一口に言っても、技師長である村下(むらげ)に代表される鋼を作る人だけでなく、山で木の世話をする人、炭を作る人、砂鉄を取る人、牛馬の世話をする人、鋼を運ぶ人、船を動かす人、農業をする人と多くの人がその仕事に携わってきました。その中で町や村が形成され、様々な文化や歴史が埋積していきました。

たたらの衰退

しかし、明治維新とともに鉄鉱石から作る大量生産の洋鉄技術が流入し、やがて「たたら製鉄」はその役割を終え、私ども田部家でもたたらの火は消えていきました。それからおよそ100年が経ち、吉田村の人口は1800人。奥出雲地方全体も人口が減少し、かつての日本一の和鉄生産地は存亡の危機に面しています。

たたらの再興

ある日吉田中学校の校長先生から地元の中学生に夢を与えて欲しいと講演の依頼を受け、
当日、会場に入り愕然としました。2、3年生全員合わせて生徒はわずか38人。「どうにかしなければこの地域が終わってしまう」、そう思った私はその場で38人に約束をしました。「皆が大人になる頃にはこの地域に仕事を作るからね。だからこの地域に戻って来て欲しい」どうすればこの地域を盛り上げられるのか、どうすればこの地域に人が戻ってくるのか。結論は最初から決まっていました。「たたら製鉄」で盛り返すしかない、と。

私たちは、この地域が誇る「たたら文化」を、子々孫々に伝承していくために、そして島根の山間地にもう一度光を当てるために、今後の「たたら操業」の復活を期して、新たな挑戦を始めました。

今こそ「たたら」が世界に誇る産業・文化であると認知してもらい、発信していく時と確信しています。

私たちは、この事業で「たたら製鉄」をもう一度復活させ、地域に仕事を創出し、
職人を養成し、かつて日本一と言われた時代の片鱗を取り戻せると信じて日々邁進して参ります。

皆様にはこの趣旨にご賛同頂き、何卒応援を賜ります様、切にお願い申し上げます。

 

田部本家第二十五代目当主

田部長右衛門